こんにちは!みゆちゃんです。ようこそタイムトラベル日記へ
ようこそ!私たちのタイムトラベル日記へ。ここでは、私の過去・現在・未来とタイムスリップして、その時の思い、心境などをその当時の私、現在の私の目線で自由に書いています。 辛い、苦しい過去の記憶内容もありますが、基本的に楽しく、笑いに変えて今生きています(笑)なので、気楽に楽しく読んで頂いたらうれしいです。

私のモットー・これだけは譲れない
「私のモットー・これだけは譲れない」とは、日々の生活で大事にしている信念や価値観、そして絶対に妥協しない自分の軸のことです。
これは、困難や、苦しみにぶつかったときや、迷ったときに支えとなり、選択の目安になります。
このモットーは、自分らしく生きるための大切な道しるべであり、自分の生き方を形づくるものです。
※少し気づいて書いてしまいましたが、大切なことなのです。どうか、少しだけお付き合いください。
人生から学んだ教訓~人生訓

私のモットー・譲れないことは『自由』『楽しく』『自分らしく』生きることです。
自由・楽しく・自分らしく生きたいなと考えたのは、だいたい30代の時からでした。
自由・楽しく・自分らしく生きたいとおもった理由が、私の母親が自己中で自分がおもったように周りが動かないと怒りだしたり機嫌が悪くなったりする母親でした。
例えば
●遊びに行くのも禁止
●誰かを家に呼ぶのも禁止
●彼氏を家に呼ぶのも禁止
●母親がお気に入りの人じゃないとお付き合いは禁止
●妹のことはおんぶして畑仕事しないとダメ
●バイトは母の知ってる所じゃないとダメ
●門限時間までに帰らないとダメ
●高校を中退しても母の知ってる所に就職しないとダメ
●仕事をした給料は全部母の口座に振込
そんなこんな色々あって17歳の時に、家出を考え思い切り家を飛びだした。
それから、DV元旦那と望まない結婚…出産、元旦那は私が帰る場所がないことをいいことにそこにつけこんできた。
元旦那は、お金のためなら私を売ることをしたり、働きたくない元旦那は私の紐の状態、やがてホームレス生活。

17歳で結婚、18歳で出産、私を風俗で働かせて毎日毎日送り迎えの見張り付きだった。
仕事が終わり家に帰れば、体調が悪く寝たきりの義理の両親の看病託児所に預けてる子供のお迎え休む暇もなく動いてる。
元旦那とのホームレス生活、私と結婚をする前にサラ金からお金を借りていて、働いてない元旦那は何社からもお金を借りるだけ借りて返せなくて、逃げる生活で疲れてしまった私は、まともな判断ができず元旦那に言われるままに子供を連れてホームレス生活を子供を連れて選んでしまった。
そんな生活も終わりがやってきた。
28歳で離婚、離婚当初はマインドコントロールみたいなやつに悩まされ、離婚してもいちじき元旦那がいってることが正しかったのではないかとか、お金を自分で管理したことがなくいつも当時の元旦那に取り上げられてたから、誰かに預けなくてはいけないのかとおもってしまう日常。
段々元旦那の存在におびえるようになり、外に行ったらあうのではないかとおもいはじめ、自分らしく生きることができなかった。
やがて、元旦那が言ってたことは正しくなかったと築いたのが30代になって、自分の人生を楽しむと心に決めてから、心の病気になり自分を見つめなおす時間が増えた時に、自由・楽しく・自分らしく生きたいこれが私の第二・第三の人生だと心に決めました。